ハルウララ徒然

ハルウララ騒動.別にあまり興味ないのだけど,何故これほど騒がれるかを少しだけ考えてみました.あくまで金銭的価値に絞った邪推です.ロマンなんざありゃしない.馬主が本気でロマンという非金銭的価値を主眼に置いているのなら,以下に述べる邪推は今回の騒動に関して完全に的外れなのでご容赦を.あくまでモデルケースということで.
馬主は調教師に馬を預ける.そして,調教師は馬が最大限の賞金・引退後の繁殖価値を獲得するように努力する.この関係は普通のものである.しかしここで問題なのは,馬主が直接自分の所有する馬の調教について特段の知識を持たないということである.そしてそれをいいことに,調教師は馬主を欺いて,手を抜いて最大限の努力をしない可能性がある.普通は,馬の稼いだ賞金に連動して調教師の報酬も得られるし,手を抜いていると分かれば,馬主も転厩を申し入れるだろう.なので大抵調教師は,馬主の利益に適うように行動する.
ハルウララ騒動で問題なのは,ハルウララには賞金・繁殖価値以外の利益があるという点.これは調教師のコントロールの外なのである(もしかしたら主催者に働きかけるなどある程度コントロールできるのかもしれないが,完全には無理である.調教師の分け前も不明.多分,調教師の側はあまりこちらに利益を求めるものではないだろう).調教師はあくまで賞金を稼ぐように,最大限の努力を続けてきた.それを受けての調教方針というのがあるだろう.
一方で馬主は,各種マスコミに働きかけるなどで賞金以外の利益をコントロールする術をある程度持っていたのだろう.普通にしていて「賞金・繁殖価値以外の利益>賞金・繁殖価値」となれば,当然調教師に賞金を稼ぐような調教は求めない.一層の賞金以外の利益を上げるようなプロデュースを求めるはずである.ここに調教師と馬主の対立が生じる.
今回の騒動の場合,賞金以外の利益が背後にあることを多く推察されているのだが,どのようにその利益を上げるか,過程がどういうものか不明で,馬主が「馬のため」という言葉を伝家の宝刀にしてしまっているので何とも胡散臭さを感じてしまう.この辺りが馬主に対して多く疑念を抱かれているところなのだろう.だがしかし,慈善事業をやるのでなければ,このような賞金以外の利益を賞金以上に得る馬にはハルウララに限らずに上のような対立が生じてしまう可能性がある.何せ調教師に賞金・繁殖価値を求めないのだから.賞金・繁殖価値を求めない調教師,いるのでしょうかね….
(追記)
なんだか読み返してみると,とっても当たり前のことしか書いてない….それくらい平凡な事件であったということで,あまり興味なかったんです.