海外遠征史

日は、高速の芝より昇った、のか?
Paulick氏のコラムを取り上げた12月4日のエントリーが,有芝まはる氏のblogで紹介され,リンク元が有芝氏のところというのが増えております.こう,競馬を見るスタンスを持ち,そこからテキストを書き出す人のblogはアクセス数が多いのだろうなと思いました.私は競馬を見るスタンスもそう確固たるものありませんし,かなり近視眼的ですので.記憶力が悪いのですよ.
ところで,有芝氏は馬場の高速化と海外遠征での成績を指摘しておりますが,私は坂路コースの設置というのが大きいのではないかと疑っています.別の言葉で表せば,調教技術の進歩ですね.考えとしては月並みです凡庸です.ざっと98年の2頭の○外競走馬の成功までの90年代の海外遠征を振り返ってみましょうか.
まずは93年,ホクセイシプレー,ナリタチカラ,トモエリージェントと,いずれも香港競走遠征.90年代遠征前史という感じで,取り上げられることも少ないのですが,当時海外競馬を派手に取り上げる新聞もありませんでしたしね.いずれもそれほど良いところのないような着順でした.遠征のノウハウも少なかったのでしょう.
ついで94年.エイシンテネシーが香港国際ヴァーズで4着,フジヤマケンザンが香港国際カップで4着と,日本で言えば掲示板です.エイシンテネシー坂口正則厩舎,フジヤマケンザン森秀行厩舎です.いずれも栗東所属馬,坂路調教を結構取り入れているところ.
95年.○外ヒシアマゾンが米国遠征し人気になりましたが,捻挫で出走取消.美浦中野隆良厩舎ですが,いつも坂路で調教していました.○外クロフネミステリーはG3で3着で,藤沢厩舎.これは坂路調教って感じじゃないか.白井厩舎のダンスパートナーオークスという実績を持ち,3歳という旬に遠征した期待馬でした.ノネット賞が鼻差2着,ヴェルメイユ賞が1番人気6着.欧州競馬の密集した馬群を,騎手がさばけなかったという評価が記憶にあります.で,フジヤマケンザンの香港国際C勝利.3度目の正直ですね.
96年.ライブリマウントのドバイ遠征.ちょっと旬の過ぎている感もありました.6着.○外タイキブリザードBCクラシックは,全然駄目でした.香港国際ボウルで森厩舎ドージマムテキが2着.
97年.中野厩舎のホクトベガ競走中止なので,完走していたらの結果は分かりませんが,この後欧州で繁殖入りとかとも言われていましたし,旬は過ぎていたのでは.サクラローレルは,小島太厩舎に変わって天皇賞春での調整過程も色々なところから文句を付けられたくらい.その中での遠征で,レース中に故障.藤沢厩舎の○外シンコウキングは香港国際ボウルで3着,橋田厩舎のサイレンススズカは香港国際C出走も当時特に実績がなく(今年でいえばシックスセンスくらい?),あまり期待されていませんでしたが,逃げて5着.
ということで,全部を網羅したわけではありませんが,良績を挙げたのは何となく坂路調教(+藤沢厩舎)してそうな馬が多そうな気がしませんか.気のせいですか.気のせいかもしれませんね.ヒシアマゾンダンスパートナーと森厩舎の印象からだけ語ってるような気もしないではありません.